
「そうか。志真、僕は君を案じていた。どうだ、新選組の生活は」
「…特に思うことは有りゃあせん。私は先生から仰せつかった通りの役目を果たすまでじゃ。それ以上の思いを馳せるなど…要らぬこと」
白岩は淡々とそう言うと懐から紙を出し、吉田の前に置く。
それは新選組で見聞きしたことを全て余すことなく記した諸記録であり、巡察の時間帯、役職、幹部の特徴などが記されていた。
「君は真面目じゃな。植髮價錢 共に過ごせば情の一つや二つ湧きそうなものを」
「…先生はそんで良えんですか?」
「良えとは言わんが、君も人間じゃ。致し方ないことじゃろうて。…最終的に僕の元へ無事に帰ってきてくれりゃあそれで良え」
その紙に目を通しながら、吉田は照れ臭そうに笑む。
「先生という方はお人が良すぎるんじゃ……。これだから付いていきたくなるんです」
胸が熱くなるのを感じ、何処か泣きそうな表情を浮かべながら小さく呟いた。非人の自分のことさえ、人として扱ってくれる。それが心地良くて仕方なかった。「志真、その…。鈴木桜花なる人物はどうじゃ」
吉田は視線を逸らしながら小さな声で尋ねた。
「鈴木桜花…、八木邸の使用人のことですか。どうにもお人好しのようです。お陰で命拾いしました」
吉田の質問に、表情には出さないが知り合いだったのかと驚く。
志真の返答を聞くなり、吉田の表情は明るくなった。
「そうか…。やはりええ奴なんじゃな」
「そのご様子だと、親交を持たれているようですのう」
「ああ。少し前からね。謎が多いが、表情豊かでぶち面白い。何より根が素直で誠実じゃ。信頼における人物じゃけえ」
志真もそれに頷く。彼自身、桜花のことを少しだけ認めている節があったからだ。
その一方、短期間で吉田の信頼を得たことに対して羨望を抱く。
「…良え人物であることは私も同意します」
「志真が人を褒めるのは珍しいのう」
「…褒めた訳では。そんでは私は今まで通り、新選組の動向を偵察しちょきます」
頭を下げると志真は再び手拭いで口元を覆うと立ち上がった。
湯呑みの中の茶が揺れる。
「もう行くんか」
吉田の声に振り向くと、その問いに頷いた。
「屯所を長い間開けちょると疑われますけぇ」
「苦労を掛けんさんな。…実は今水面下で長州の無実を朝廷に訴える計画が進行しちょる。それが無事遂行出来るまで、新選組を見よってくれりゃあええ」
「つまり、その計画が遂行された時、私は吉田先生の元へと戻れるんですか」
志真は念を押すように問い掛けた。
今の任務はさして苦痛とは思っていないが、吉田の元を離れたくなかった彼にとってはそれはまさに朗報である。
吉田は深く頷いた。
それを見、思わず口元が緩みそうになるのを押さえて玄関に向かう。
再度頭を下げ、出ていこうとする志真を吉田は呼び止めた。
「志真、もう一つ頼みをしてもええか。…新撰組で桜花さんが困ることがありゃあ、出来るだけ助けてやってくれんか」
「それは…」
「こねぇなことは志真にしか頼めん。どうか、頼まれてはくれんか」
志真は返答に迷い、吉田の顔を垣間見る。すると、少し照れ臭そうな切なげな表情を浮かべていた。
このような先生は見たことがない。
「…分かりました」
そう返事をすると、安心したように口角を上げていた。
それはまるで懸想している姿そのものではないか。
そのようなことを思ったが、口には出さずに吉田先生の家を後にした。志真改め、白岩は屯所に戻ると縁側に沖田の姿を見付けた。
「やあ、白岩君。何処か出掛けていたんですか」
沖田は白岩を一瞥しニッと笑うと、すぐに空を見上げた。
「天気がええもんやから、少ぉし散歩しよ思いましてな。沖田先生は非番ですか」
「はい、非番です。どうぞ、お座り下さいよ」
沖田にそう促され、白岩は横に座る。
飄々としていて雲のように掴みどころのない沖田のことを苦手だと思った。